「越前かに」の名付け親、知名度向上に貢献
壁下誠
トップページ > ニュース > 漁、競り・市場 > 145年前の海難語り継ぐ供養祭 区民・遺族が調査、越前町
1866年に福井県越前町米ノの漁師43人が漁の最中に水死した事故を語り継ごうと、事故から145年目を迎えた15日、遺族や区民約50人が、共同墓がある米ノ墓地公園で供養祭を営んだ。風化しつつある事故や亡くなった漁師の法名などを、区民有志が丹念に調べ供養祭を“復活”させた。新たに石碑が建てられた墓地で参列者は過去の惨状を振り返り、海に対する用心を再度胸に刻んだ。
1866年5月14日夕、丹後沖でのサバ漁に向け16隻の手こぎ舟が米ノ(当時米ノ浦)を出発した。翌15日の朝に海が急に荒れ、8隻が海に沈んで漁師43人が亡くなったとされる。旧越前町の町史にはこの歴史や一部漁師たちの法名が記されていたが、年月を経るうちに遺族や区民の記憶から消えかかっていた。
前区長の中橋鍈治さん(73)が同墓地公園に建つ共同墓に気をとめ、昨年春から亡くなった43人を檀家(だんか)に持つ区内外の4カ寺を区民有志とともに訪ね始めた。過去帳に残る屋号などを基に調べ、今年1月には全員の法名を初めて明らかにした。12歳の少年が亡くなっていたことも分かった。
調査では遺族の家を1軒1軒訪問したが、半数以上で言い伝えが途絶えていた。供養も、共同墓が建立された当時は行われていたと考えられるが、現在では区民の関心は薄れていたという。
供養祭に伴い共同墓の土台を整備。全員の法名や事故当日の様子を刻んだ石碑が遺族の浄財で建てられ、除幕された。中橋治典(みちのり)区長(63)は「尊い命を落とされたが、海に対する準備は怠るな、という貴重な戒めを後世の区民に残してくれた。末永く語り継いでいかなければならない」とあいさつした。4カ寺の住職が読経を行い、先人の無念さに涙ぐむ参列者も見られた。