「越前かに」の名付け親、知名度向上に貢献
壁下誠
トップページ > ニュース > 2007年12月 > 越前ガニの呼称の謎 1965年ごろにブランド化
「冬の味覚の王様」「越前ガニ(がに)」。もともと地元では、単なる「ガニ」「ガン」としか呼ばれていなかったが、漁獲量の大幅減少と、販路開拓の過程でブランド名が誕生、しかも「冬の味覚の王様」を冠する、高根の花となり、福井県を代表する顔にのし上がった。地元水揚げのカニを愛し、その鮮度、味覚にこだわり続ける漁業関係者、販売に苦心した人たち、漁獲量アップに打ち込む研究者たちの記憶をたどり、ブランド成立時期の謎(なぞ)に迫った。=敬称略
大衆、差別化が後押し
「越前ガニ」。いつごろから、ブランド名として認知されて、市場に出回るようになったのだろうか。カニ博士の異名を持つ越前町の越前がにミュージアム館長、今攸(61)の解説による、カニの歴史からひもとく。
学術上の標準和名「ズワイガニ」という名称が初めて登場するのは、享保九(一七二四)年に書かれた「越前国福井領産物」。全国の諸藩が幕府に提出した領内産物一覧で「ずわいかに」と明記されている。その愛称としての「越前蟹(かに)」は、その二百年以上も前の永正八(一五一一)年三月二十日の日付で残る京都の公家、三条西実の日記。「伯少将送越前蟹一折」と記され、越前蟹が京都で賞味されていた。
しかし、この越前蟹はあくまで愛称で、地元での呼称ではなかった。時代がさかのぼり、一九一〇(明治四十三)年一月一日付の福井新聞は、前年十二月、県知事が四ケ浦村(現在の越前町四ケ浦)に水揚げされたカニを東宮御所に献上したと報じている。献上ガニの始まりであるとされているが、見出しは「蟹を献上す」であり、記事中も「蟹」でしかなかった。
今 私の研究対象はカニの生態で、愛称の「越前蟹」は使用したことがありませんでした。一般的にカニが全国的に普及しはじめたのは鉄道網が整備され、冷蔵設備が整う五〇年代からだと思います。研究者としてブランド名が有名になってもらうことはうれしいのですが、もっとたくさん捕れて、安く食べていただければと願っています。
今は、北海道余市町出身で、カニの研究のために県庁に入庁した。県職時代の大半を県水産試験場で過ごし、カニ資源を増やすため、カニの生活史の研究に没頭。その成果もあり、カニ漁獲量は一時、ピーク時の七分の一にまで落ち込んでいたが、現在は三分の一にまで回復してきた。
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今が指摘する五〇年(昭和二十五)年以降、カニが大衆化したという手がかりをもとに、ブランド化の時期を追う。越前町の町漁協組合長、山口英男(68)はある有力な手がかりを記憶していた。
山口 七二(昭和四十七)年に四五トンの大型カニ漁船を購入しました。当時、越前町の港は整備されておらず、大型船は出入りができなかったので、敦賀港で水揚げすることにしたわけです。当時は大漁で、兄弟や親せきに自慢で見に来てもらいましたが、その際に市に出す木箱には「越前かに」と書かれた、はがき大の札を入れていたことを記憶しています。だから、その前の六五(昭和四十)年以降ぐらいから、越前ガニという名前で売り出すようになったと思います。それまでは越前町でもカニは方言で「ガン」と呼んでいましたから。
漁業関係者の間で、越前ガニのブランド化の話題が出ると、必ず登場する人物がいる。しかも、山口が「越前かに」の札が入れられていたという敦賀市。
同市蓬莱町、相木魚問屋の会長、壁下誠(73)がその人だ。
壁下は戦後まもなく四八(昭和二十三)年、カニをはじめ甘ダイ、ヒラメといった高級魚が統制解除になったのを契機に、立命館大三年生だったが、家業を手伝い、カニの販売を始めた。当時はまだ市場ではなかった東京、静岡、鎌倉をターゲットとした。販路拡大を狙った。
壁下 ズワイガニというだけではさっぱり売れませんでした。そこで福井は越前、若狭という国の名前があるので、どちらかを付けて売ろういうことになり、ごろがいい越前を選んで、「越前かに」という名前で販売するようになり、よく売れるようになりました。当時はまだ東京の人は、北海道の毛ガニの味しか知らなかったので「越前かに」の生の味は新鮮だったのだと思います。小荷物で、敦賀駅から米原経由新橋駅留めで、その後は業者が三輪の車で築地に持ち込んでいたわけです。一日に八十から百箱も送ったものです。小荷物代金は二百六十円だったと記憶しています。
壁下の販路拡大の動きは、今の指摘した越前ガニの大衆化と符合する。しかも既に壁下が「越前かに」とブランド化し、北海道産の毛ガニと差別化していたことは注目に値する。しかしまだ、草創期の物語でしかなかった。
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カニ販売の鮮魚店から、ブランド化の歩みをたどる。「越前カニ直売所 地方発送承ります」との看板を掲げ、カニ販売を営む店は現在では県内でも数多い。そうした店のうち、織田町織田の米田康男(65)は看板を発注した時期を記憶していた。先代から受け継ぐ店と道路をはさみ、空き倉庫を借り、新たに直売所として店を構え、福井市の業者に看板を発注したのが六八(昭和四十三)年だった。
山口が指摘した六五年以降ではないかとの推測に、ぴたりと当てはまる。
民間人まず 越前かに
米田 当時、浜(越前町)の市は船が戻ってすぐ、夜中に行われており、カニゆでは浜の知人に頼んでました。しかし、浜でもぼつぼつ「越前カニ直売所」といった看板で商売をするとことが出てきたので、私もゆで釜(がま)を購入、ゆで方を習い、看板を出そうと思い立った。それで夜中に自転車で浜まで下り、帰りは坂道をカニを乗せた自転車を引いて上ってましたが、よくキツネに出合ったものです。
漁業関係者、販売業者の記憶の糸が合致。越前ガニというブランドを意識しはじめたのは、六五年前後と特定して、ほぼ間違いない。
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もう一方、「冬の味覚の王様」の代表、ズワイガニの高価格化の歩みをたどってみる。ズワイガニの漁獲量の推移を見ると、六二(昭和三十七)年に二千九十九トンがピークで、その後は、坂道を一気に転がり落ちていく。ブランド名を意識しはじめた六五年には既に千三百トンとほぼ半減。六九年には、一千トン台を割り込み、八〇年には二百三十トンと、ピーク時の十分の一にまでちょう落した。
県漁連三国支所には、七七年以降のズワイガニのキロ当たり単価の記録が保存されている。六一年入所の所長、北浜明(59)が丹念に記録してきた。
北浜 入所したころにはズワイガニも今のような高値ではなかったし、地元でも身近なもので食卓にものぼっていました。品不足か品質のよさかは分かりませんが、七五年以降から高値になっていきました。
記録を取り始めた七七年は三千六百円だったが、その後は漁獲量とは反比例し、一気に上昇していく。二年後の七九年には五千円台に乗せ、八二年には八千七百円を付け、九〇年には一万円の大台を突破、一万一千七百四十一円に達した。
県水産課では、バブル経済への過程の中で、保冷技術の発達にも乗り、鮮度、味覚を売り物に、本県水揚げのズワイガニは高級化路線をひた走り、ライバルの山陰の松葉ガニと差別化。こうした戦略が当たり、ズワイガニが本県に集結し販売されていく、”全国区ブランド”にのしあがった、と分析している。
キロ当たり単価は「カニの大小を問わないもので、市場の実勢価格を反映しているとは言い難い」(北浜)が、加重平均値であり、バブル絶頂期には、ズワイガニ一匹の市場価格は十万円を超した。
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いち早く、ブランド名での販売に乗り出していた壁下は、自社によるブランド浸透を着々と進めていた。
壁下 カニの木箱には独自で考案した赤色の墨汁で「越前かに」を刻印もしましたし、お客さん向けの送り状にも印刷もしました。また、自家用車を購入した五五年以降ドアには欠かさず「敦賀名産 越前かに」「かにの名門」「越前かにの名付け親」を記入していました。
しかし、特許取得の道のりは遠かった。出願は昭和三十年以降五回以上は出していたが、特許庁は越前が地域名であることから難色を示した。壁下の出願以降、町村合併で越前町が誕生したことなども取得に影響を与えたと考えられる。「敦賀名産 越前かに」の商標登録が実現にこぎつけたのは八八年。さらに「越前かにの名付親」の商標登録の取得は九五年を待たなければならかった。
壁下 うちが商標登録を取得したからといって、「越前かに」がブランドとして浸透したわけはないと思います。みんなが努力したたまものです。ただ、私は商標登録できたことを自負できるし、今後も終生現役で「越前かに」にこだわり続けていきたい。何よりもカニを愛してますから。
ブランド化を決定的にしたのが、県が特産ブランド化推進事業によって、本県水揚げのカニを八九年、県の魚に指定、初めて統一呼称を採用したことだ。それまでは県は公式には「ズワイガニ」としか呼んでいなかったが、採用した統一呼称は「越前がに」だった。皮肉にも、壁下が商標登録の取得に成功した翌年に当たった。
「県としては壁下さんが登録した『越前かに』と同じではおかしいことになるし、越前町ではガンとかガニと濁って呼んでいた。また山陰の松葉もがにと濁っており、濁音の『越前がに』の方がメジャーであると判断した」(水産課)と、一民間人の先見の明を前に、後手に回ったつけから、思わぬ”英知”を絞る羽目になった。
とはいえ、県がブランドとして認知した意味は大きく、越前ガニブランドは求心力を発揮しはじめ、県外、外国産の偽ブランドを生み出すことにもつながった。これに対抗するため、特にズワイガニには識別マークのタグを取り付け、消費者に選別してもらうと九七年、越前町漁協が先べんを切り、翌年には県漁連も追従した。
北浜 三国ではカニの大小、型など徹底した選別に力を入れています。お客さんに安心して買っていただくことがいい値にもなるし、県内では港同士が競争することで、ブランドイメージを高めていくことにつながると思います。
越前ガニは、今世紀も、福井人が誇れるトップブランドとして、受け継がれていく。