「越前かに」の名付け親、知名度向上に貢献
壁下誠
トップページ > ニュース > 2020年11月 > 地域の誇り、「極」の越前がに(下) 向笠千恵子の食は福井にあり
県民の心のごちそうだけに、越前がにに精魂を傾ける人は数知れず。あの顔この顔が浮かぶけれど、わたしにかにのイロハを教えてくれたのは、昨秋亡くなられた壁下誠さんである。敦賀漁港の水産卸商の2代目で、初めてお会いしたのはもうひと昔以上前。温顔に白い顎ひげが似合いで、第一印象は敦賀のサンタクロース。だが、茹(ゆ)で釜の湯気の奥で暗赤色からあざやかな朱色に変わっていくかにを凝視しながら、彼は意外なことを言った。かにに「越前」という冠を付けたのは自分なんです、と。
歴史的には、越前がにの表記は室町時代の公家・三条西実隆の日記に残るだけ(元県水産試験場員で元越前がにミュージアム館長・今攸(こんとおし)著「科学の目で見た越前がに」による)で、江戸時代の享保年間の『越前国福井領産物』にも「ずわいがに」の記述があるのみ。1909(明治42)年に県知事が越前町四ケ浦産を皇室へ献上したときの記録も「かに」である。
それを壁下さんが塗り替えたわけで、ときは戦後すぐの48(昭和23)年頃のこと。「販路拡大しようと東京方面にズワイを売り込んだがさっぱりなので、かにに越前と付けてみたら大当たり」ということなのだ。敦賀から米原経由新橋までは鉄道で、そこから三輪車で築地へ運び、木箱にも送り状にも「越前かに」と明記したとはご立派。
壁下さんはこの名がすっかり気に入って商標登録を申請し続け、ついに「敦賀名産 越前かに」、さらには「越前かにの名付け親」の認可も得た。ともあれ、その間にかには保冷技術の向上によって新鮮品が消費者に届けられるようになったが、一方で知名度アップによる需要拡大が高騰と乱獲を呼び、その反省から、資源保護が開始された。その結果、漁獲量は徐々に回復し、89(平成元)年、福井県は「越前がに」の名称で県魚に指定したのである。
現代の越前がには、越前町漁協がズワイ、セイコ(年内で禁漁になる)、ミズガニのどれもで漁獲量1位。なお、セイコは背中に子を持つ雌で、石川県では香箱(こうばこ)という雅(みやび)な呼び名をもつ。どちらもグッドネーミングだ。
ズワイは12~13回も脱皮を繰り返すことで甲羅が堅くなり、身が詰まってくるのだが、そのうちの脱皮して半年以内で、甲羅がまだやわらかく身肉がゆるいものをミズガニという。脚を引っ張るとズボッと抜けるためズボガニとも呼ばれる。つまり、若ズワイというわけでみずみずしい食感は早春にふさわしい。実際、漁期は2月19日から3月20日である。ただ、成長させればズワイに育つので、いずれは資源保護のため禁漁の日が来るだろう。
さて早朝、鴎(かもめ)が舞う越前町小樟(ここのぎ)港へ急いだ。水仙が花盛りの越前岬の南に点在する小さな漁港の一つだ。ここに限らず、越前町の港はすべて崖にへばりついている。切り立った崖の前がすぐ怒濤(どとう)の日本海で、しかも沖に向かって急に深くなっている。そのため、潮がよく通るし、餌になるプランクトンも多いから、身が締まったかにが捕れるのだ。一方で、近年は海底を攪拌(かくはん)して空気を送り込むと同時にごみを除くなど、かにが棲息(せいそく)しやすい環境づくりにも取り組んでいる。
かに漁は底引き網で行われ、越前町漁協所属45隻のうち大半が10トン前後の小型船なので、そのぶん漁場も近場である。夜中に出港して水深200~300メートル地点で丸一日漁をし、翌朝8時には帰港するから、鮮度は飛び切り。漁師はその間、網入れと引き上げをほぼ2時間単位で繰り返す。重労働なのだ。
それだけに、船から下りてきた山下義弘さんもせっかくの男前の頬がそげていた。所有する幹昌丸で長男、次男、親戚、インドネシア人の研修生を率い、夜を徹して海に出ていたのだ。休む間もなく競りが9時に開始され、どうやら思い通りの値段が付いたらしく、ようやく山下さんはうまそうに一服。いつもの漁師リーダーの顔に戻って、本音を聞かせてくれた。
「かれいなどの漁に2カ月出るのと、かに漁1日分の売り上げが同じときもある。ズワイが漁師を食べさせてくれているんだ」
かに漁は日々が勝負なのである。また、かには成長までおよそ10年かかるが、北陸・山陰の稚がには急速に減っていて、3年後には半減といわれているくらいだからおおごとだ。ただ、今シーズンの越前町は前年よりも水揚げが多く、浜の表情は明るい。
おかげで、魚屋から立ち昇る越前町の風物詩、釜の湯気も去年より元気がいい。あらかじめ水槽で泥をしっかり吐かせておくのと、湯がきたてのほやほやを即提供するのが浜の流儀なのだ。
福井ではまちなかで食べるかにもすばらしい。なぜだろう。足羽川畔の福井市開花亭。県の食文化を発信する福井ガストロノミー協会の中核メンバーで、海外にもアンテナを張る5代目・開発毅さんがわたしの疑問を解決してくれた。
福井市は越前町にも三国にも近いから、かにの鮮度も品質も問題なし。さらに、料理屋のプライドをかけて、技術・センス・おもてなしの心をプラスするのだそうな。
「うちは、その日のかにのコンディションに合わせて湯の温度をあんばいし、味噌が甲羅にたまるよう腹を上にして茹でます。甲羅はじっくり、足は軽くですね。塩分濃度は海水より抑え、海の香り付けに昆布をはさみ込んで、茹でたら釜から上げて、塩分をなじませるためにほんの少しおいておきます」
それだけのことですよと、開発さんはほほ笑んだが、わたしは話を聞くだけで、かににかぶりつきたくなり、越前がによ永遠に!と、手を合わせてしまった。(向笠千恵子=フードジャーナリスト、食文化研究家)