漁船と連携し品質を判断
田村幸次
トップページ > ニュース > 2011年2月 > 唸り、むさぼる越前がに ふくい文学歳時記
昂揚(こうよう)。開花。躍動。豪奢(ごうしゃ)。ものもいわずにむしゃぶりつく。とろりと清雅な脂ののった白く豊満な肉に紅(べに)が一刷き散ったのをいくつもいくつも酢醤油の鉢のなかへほりこみ、チマチマとではなく、ガップリと箸ではさんで頬ばるのである。この瞬間。完璧な充足。決定的で完璧な瞬間。
開高健「北陸の味覚 王者の奢(おご)り」(「開口一番」新潮文庫)
〈極上の越前がにを皇室へ 坂井・三国の鮮魚店で調理〉。さきに本紙の記事にあった。献上のそれはさぞや美味なことだろう。いやあ蟹(かに)が食いてえ。でもさ蟹は高すぎよ。というわけでこの冬も口にできそうにない。それにつけても、ここに掲げる蟹のまあ、たまんないこと。
開高健(一九三〇~八九)は、祖父母と実父が坂井市出身で福井にゆかりが深い作家だ。自伝的小説「青い月曜日」には、戦中に祖父、叔母が丸岡に疎開、戦後に米の買出しに来たことが描かれている。開高さんは行動する作家であり、世界を股に掛け、飲み、食べ歩いた食通だ。グルメの文章の絶品なること、じつにその食の形容詞の多彩、絶妙さは超極上の味わいがある。まさにエロチックなまで。
「越前ガニは世界一うまい食べものだ。私は毎冬家族連れで食べに来ている」。という開高さんが贔屓(ひいき)にしたのは越前海岸の波打ち際に立つ旅館「こばせ」。最初、昭和四〇年冬、「蟹を食べさせてよ」「蟹だけでいいんだヨ、ね、ね。いい?」と言って見えた。で主人は、古九谷の大皿に山盛りにした蒸したての蟹を出した。すると開高センセイ、「うーん」と唸(うな)りながら、豪快にむさぼり食いつくして絶句するのだ。
「フランスのメーヌの蝦(えび)、ベェトナムのキャプ・サン・ジャックの蝦、香港のアバディーンの生簀(いけす)からあがる蝦、みんな食べてみたが、日本海の蒸したての蟹ほどのものがあるだろうか」
それだけでない。「淡泊、純粋透明の結晶で、舌へのると、水のようにとけてしまう」生け作りの刺身。さらにあの甲羅酒とくるのだ。
以来、越前蟹の虜となった作家は、たびたび足を運ぶことに。あるとき主人がいたずら心から「先生、海の宝石箱をひっくり返してみました」と蟹丼を出した。するとセンセイ、五、六人分のセイコ蟹の入った丼を一気にたいらげたとか。この蟹丼、「開高丼」の名で当旅館のメニューに登場するとか。
開高センセイ、「こばせ」に蟹をめざして訪れること十数回。最後に顔を見せたのは八九年、なんともその一二月に逝去されているとは。ところでセンセイが主人に贈った色紙が宜(よろ)しくあるのである。
「この家では、いい雲古(うんこ)の出るものを、食べさせてくれます 保証します 開高健」
(詩人、大野市出身)