10日先の天気を見て仕入れ
中瀬康雄
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荒れる冬の日本海が迫る呼鳥門。(挿絵)打ちつける冷たい風と波が岩壁を削り、長い年月をかけてこの自然のトンネルを造り上げたのだろう。現在は土砂崩れ事故防止のためコンクリートの門も造られた。「昔より趣がなくなってしもたねぇ」と話す地元の人の声。しかし、逆に自然の驚異を示しているようにも思えた。
呼鳥門近くの左右(そう)区。急勾配(こうばい)の狭い道路を上る。十軒ほどの古い家が並ぶ集落からさらに山道を上がっていくと、眼下に水平線が一望できる所に出た。急斜面に広がる緑と黄色の大地。何万本もの水仙が冷たい冬の雨風に耐えながらけなげに咲いていた。まさに水仙のじゅうたん(写真上)。すべて人の手で植えられたものだという。水仙の姿は厳しい自然と向き合う地元の人々の暮らしぶりを連想させる。
小道をさらに進んでいくと、小高い丘の上に石の御堂があった。中には女性の石像が安置されている。地元の人によると、「坂ケ平(さかんじゃら)の石像」と呼ばれる水神様で、海上安全を祈願して祀(まつ)ったものだという。この像を西向きに置いても、いつの間にか東向きに戻ってしまうといわれ、東方の六所山山頂の神と、この神が夫婦であるためと伝えられている。十人ほどが座れる御堂の広場では、昔から神楽を出して小さな祭りを開いてきた。現在でもその名残から毎年五月三日に付近の人たちが集まり、酒を酌み交わすという。
山すそに「千枚田」と呼ばれる段々畑が広がっていた。今はほとんどの田が水仙に転作したため”千枚畑”となっており、緑と黄色の幾何学模様に見える。この急斜面を開墾した先人たちの苦労がうかがえる。
海岸線の国道305号沿いの「水仙ランド」にも水仙が咲き誇っていた。展望台からは水仙畑と越前岬を一望できる。また、自然文学資料館には、開高健、水上勉ら越前岬に魅せられた文人たちの想いをつづったパネルが紹介されていた。高台に上がると一九四〇(昭和十五)年に初点灯された越前岬灯台が見えてきた。海に生きる人々を守り続けて約六十年。水平線をバックに白く真っ直ぐに立つ姿は頼もしくも見える。
玉川トンネルの近くには玉川洞窟観音がある。越前岬の突端の岩窟の中にあったが、八九(平成元)年の岩石崩落事故後この場所に移された。小さな地蔵が並ぶ中、十一面菩薩(ぼさつ)像が祀ってある。たくさんの人々がろうそくに灯をともし線香をたいていた(写真下)。この像は古代唐製と伝えられているが、三国伝来説、泰澄大師自作説などもある。地元の民が海上安全を祈って崇拝してきたものだという。
入り口の石碑には「災難の 風が吹くとも たのもしや 楯の岩屋に
こもる身なれば」と刻まれていた。越前海岸の岬の厳しい自然をあらためて感じさせられた。