冬の味覚、越前ガニを皇室へ贈る「献上ガニ」の開始時期について、福井県敦賀市の気比史学会顧問を務める岡田孝雄さん(61)=呉竹町一丁目=が、これまでの説より十三年早い一九〇九(明治四十二)年とする新説を発表した。当時の福井新聞の記事が裏付けになっており、発祥地も三国町ではなく四ケ浦村(現・越前町四ケ浦)としている。
これまで開始の時期は一九二二(大正十一)年とされてきた。県内の漁業史に詳しい岡田さんは「大正十一年の前に、献上が始まるきっかけとなるような出来事がなかった」などの理由から、当時の新聞記事を探すなどして調べていた。
調査結果は、敦賀市在住の越前町出身者でつくる「親越会」の会報に掲載。それによると、一九一〇年一月一日付の福井新聞に「蟹(かに)を献上す 知事は旧臘上京を機にし態(わざわ)ざ丹生郡四ケ浦より新鮮なる蟹を取寄せ自身之れを携帯し着京早々東宮御所に奉伺し献上の手続きを為したる」とあり、旧臘(昨年の十二月)つまり一九〇九年十二月に当時の中村純九郎知事が自ら、四ケ浦村の漁師が捕ったカニを、当時の皇太子さまのもとへ運んでいったことが示されている。
さらに記事は「殿下には深くご満足あらせられ即日御晩餐(さん)の御膳に召させられたるやに漏れ承はる」と、好評を博したことを伝えている。
ほかにも、一九一七(大正六)年や一九一九(同八)年の全国紙で、一九〇九年の来県をきっかけに献上ガニが始まったことや、四ケ浦村の村長が捕獲の役目を受けていたことが示されている。
大正天皇は皇太子時代の一九〇九年秋に本県を訪問された。岡田さんは「ご来県直後に始まったのなら説明がつく。明治から大正十年ごろまでは丹生郡が圧倒的なカニの漁獲量を誇っており、知事から委託を受けても当然だったのではないか」と説明する。
献上ガニは戦時中と昭和天皇死去の八九年を除き毎年行われている。岡田さんは「国鉄三国線の敷設や動力船による沖底引き網漁が始まり、鮮度の良いカニが三国に入るようになっていった。大正末期から昭和初期の間に、三国に委託するようになっていったのでは」と話している。
県文書学事課公文書館建設準備グループ(旧県史編さん課)は「大変興味深い発見。以後毎年続いていったかは資料の不足などで確認できないが、明治四十二年をきっかけに恒例になったのは間違いないだろう」としている。